篠原秋彦氏 遭難者を救助中の死
2002年1月6日、12時05分ごろ、北アルプス・鹿島槍ケ岳(2,889m)東尾根の一ノ沢ノ頭付近(約2000m)で、雪で身動きできなくなった小倉山岳会(北九州市)の男女4人のパーティーを救助中の南安曇郡穂高町有明、有限会社卜ーホーエアーレスキュー代表取締役、篠原秋彦さん(54)が、民間ヘリコプターからつリ下げた救助用ネットから落下、大町市内の病院に収容されたが、外傷性ショックで即死状態だった。長野県大町署は、ヘリで4人をネットでつり上げた時に大きく揺れ、ネットの外側につかまっていた篠原さんが手を滑らせるなどして落ちたとみている。
大町署の調べによると、長野県警から要請を受けて篠原さんが悪天候のわずかな好転をついて出動。午後零時半ごろから篠原さんはヘリから遭難現場に降り、機体からつり下げた3m四方の救助用ネットに4人を収容、篠原さんはこの後ヘリが離陸した際、ネットの外側にいて突風に見舞われたらしい。つり下げたままの状態で、直線距離で約3km離れた大町市大谷原のヘリポートに運んだが、ヘリポート到着後、一緒に乗っているはずの篠原さんの姿がなく、片足の靴だけがネット内にあった。ヘリは約30分後に救出現場に戻リ、約10m離れた場所に篠原さんが雪の上で倒れているのを発見した。篠原さんは脊椎(せきつい)や左脚などを骨折していた。救助された4人は「ヘリが上昇し、ネットが地上から50cmほど浮いた際、2回大きく揺れた」また救助された女性は「気を失うくらいにネットが揺れた」と話している。ただ、事故当時、雪煙が舞っていたため視界が悪く、詳しい状況は分からないという。
当日午前10時すぎ、遭難した4人から山岳会事務局を通じて県警に救助要請があり、県警は民間ヘリを手配した。東邦航空株式会社所属のヘリ、アエロスパシアルSA315BアルウェットIII(JA9826)は11時19分、松本空港を離陸し、パイロット1人と篠原さん救助担当者2人の計3人が乗り込んで救助作業に向かった。当時は霧が出ており、視界は約100mだったという。午後1時ごろ、長野県大町市の北アルプス・鹿島槍ヶ岳の東尾根一ノ沢の頭付近で、登山者4人をヘリコプターで救助していた遭難救助会社「トーホーエアーレスキュー」社長篠原秋彦さんがけがをした、とヘリから大町署に無線が入った。
遭難の4人は無事
救出された北九州市倉北区、食料品店経営・松本覚さん(53)ら4人は足に軽い凍傷を負っているものの無事だった。遭難した4人のパーティーは、12月31日に大町市大谷原から入山(朝日新聞)、(元日に同市大谷原から入山と記載があるのは信濃毎日新聞)2日に鹿島槍ケ岳に登頂、3日に大谷原に下山する予定だったが、大雪のため動けなくなり救助を求めていた。山岳救助エキスパートの事故の知らせに、病院には山岳関係者が多く駆けつけた。
長野県警によると、県内の山岳遭難で救助中に事故死したケースは、1993年8月、中央アルプスで当時の遭対協救助隊長が滑落死して以来。篠原さんは1974年からヘリによる山岳遭難救助活動に携わってきたベテランだった。
増える民間要請、民間が頼み(信濃毎日新聞による解説)
鹿島槍ケ岳での篠療彦さんの二次遭難死は県警や遭対概救助隊の手が届かない遭難を引き受けていた民間レスキューの危険な現状の一端を浮き彫りにした。篠原さんは自らの経験の中で救助の勘と方法を体得しきたが、山岳関係者からは「ヘリレスキューが民間の業務となる時代、救助のシステムや方法についてて、もっと議論すべきではなかったか」との指摘も出ている。
県警地域課によると、近年、携帯電話の普及などで遭難救助要請は増加しており、昨年2001年一年間の出動件数は、県警ヘリが71件、県消防防災ヘリが16件、民間ヘリが51件。県警ヘリを出すか、民間ヘリを出すかに明確な基準はなく、遭難者のけがの状況や遭難場所などを参考に臨機応変に決めるという。
ただ、篠原さんの経験を頼って、県警や山小屋関係者が救助要請することは少なくない。
今回の遭難も、県警から要請を受けて篠原さんが悪天候のわずかな好転をついて出動。視界約100mの中、ヘリにつるした救助用ネットで遭難者4人をつリ上げた際、ネットの外側にいて突風に見舞われたらしい。篠原さんが無線で乗員に上昇をOKした直後の出来事だったといい、救助された女性は「気を失うくらいにネットが揺れた」と話している。
「篠原さんの後継者がいない。今後の救助が不安」と、北アの救助活動の将来を心配する声が早くも出ている。長野県山岳遭難防止対策協会講師の丸山晴弘さん(61)は「ヘリが山岳救助の主流となった今、経験に頼るだけでなく、県警、県、民間が遭難者を助けるシステムを考え直すときに来ているのでは」と指摘している。
「使命感」1700回出動篠原さん 昨年信毎選賞
篠原秋彦さん(54)は、ヘリコプターを使った山岳遭難救助の国内第一人者。救助のため出動した回数は北アルプスを中心に1700回を超え、救助した遭難者は2千人前後という。昨年11月には第6回信毎選賞を受賞した。山仲間からは「シノさん」の愛称で親しまれ、だれもがしリ込みをするような絶壁に囲まれた急斜面でも機体を寄せてワイヤを頼リに岩場に降り立つなど「闘志と気合の人」とも呼ばれた。山岳関係者は「遭難救助の財産をなくした」と、その死を惜しんでいる。
篠原さんは、南佐久郡小海町出身。1972(昭和47年)に東邦航空に入社。74年夏、当時山岳救助用ヘリがなかった県警の要請で前穂高岳の遭難救助に出動して以来、ヘリによる山岳遭難救助活動に取り組んできた。一昨年には、勤めていた東邦航空から山岳救助部門を独立させる形で、南安曇郡穂高町有明の自宅を本社に、全国的にも珍しい遭難救助のための会社「トーホーエアーレスキュー」を設立した。
危険な状況に果敢に立ち向かう救助方法について篠原さんは生前、「とにかく目の前の負傷者を無事にヘリに収容することを第一にその状況に応じて考えてきた」と話していた。山岳関係者は「状況判断は的確で、決して無謀なことはしなかった」と振り返る。
信毎選賞受賞の際も篠原さんは「助けなければという使命感が、自分を奮い立たせている」と照れくさそうに喜びを語っていた。今月3日、篠原さんは年末からの北アルプスの悪天候を気にして、親しい友人に.「6日ごろから忙しくなるかもしれない」と話していた。その予想通りに出動した鹿島槍ケ岳が最期となった。■2002年11月29日、国土交通省、航空・鉄道事故調査委員会からヘリ・レスキューの第一任者、篠原氏の事故死「鹿島槍ヶ岳事故」の報告書が公開されました。この事故の報告書(34ページ)の全文と付属文書(図写真を含む)がPDFファイル(29.1MB)で読むことができる。
参考資料:
朝日新聞 2002年1月7日 「空飛ぶ山岳救助隊長」事故死 出動1700回、救った遭難者2000人超
読売新聞 2002年1月7日 ヘリで遭難者を救助中移送ネットから転落死
2002年2月24日 追悼抄
篠原秋彦さん ヘリコプターによる山岳救助の第一人者 最愛の鹿島槍に散る
信濃毎日新聞 2002年1月7日 ヘリで救助中転落死 鹿島槍ケ岳 収容後手滑らせ?
山と渓谷 2002年3月号(No.800) ヘリコプターによる山岳遭難救助の草分け、トーホーエアーレスキューの篠原秋彦氏が救助作業中に事故死 羽根田治
Aircraft Accident in Japanのwebサイト: 元運輸省航空事故調査官 佐久間光夫氏による航空事故調査報告書の全文または概要のデータベースにこの事故の報告書の全文(22ページ)が掲載されている。